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思い出の終着点

キーボードを前にすると、途端に今まで頭の中にあった書きたいこととか伝えたいことがどんどん消えていってしまう。消えていってしまうということは、きっとそんなに大したことではなかったのだろうけど、自分の思考が自分で分からなくなってしまうことが、たまにどうしようもなく怖い。

今まで自分の中に確かにあった気持ちだとか思いだとか感情だとか、同じようなものではあるけれど、そういった今まで僕自身を形成していたものがなくなってしまったみたいな心持ちになる。虚しい。寂しい。今までの自分がいなくなってしまうみたいで怖い。

他人から忘れられることも辛いけど、自分で自分を忘れてしまう怖さはそれとは比べ物にならないくらいに、どうしようもなく僕を不安にさせる。何もない。僕の人生には何もない。空っぽだ。

だから僕は何もかもを忘れてしまう前に、キーボードの前に座って、全てを失くしてしまう前に自分の日常を記したいと思う。誰かの為ではなく自分の為に。

今僕は東京のあるネットカフェでブログを書いている。わざわざ九州の片田舎から東京くんだりまで来てネットカフェに入るってのももったいない話だが、体力的な問題なので仕方がない。

東京である人たちに会った。根本的にどうかは分からないがなんとなく僕に似ているな。と思った人たちだ。もちろんそれは僕の勝手な思い違いかもしれないが、なんとなくその人たちとは少なからずシンパシーを感じていて、色々と話をさせてもらった。

僕はこうやってブログを書いているし、他のSNSでもなんだかよく分からないようなことをやっている。何の為にやってるのかと聞かれても、それは僕自身にもよく分からない。

もちろんお金にはならないし、評価されたからといって何かを貰える訳でもない。むしろ今も感じていることだけど文字を書くということは存外に頭を使う。疲れる。自分で納得のいかないものになってしまうと自己嫌悪もする。書いたものが評価されず悔しい思いもする。馬鹿にもされるし中傷もされる。

他にも例を挙げるとキリがないけどデメリットがありすぎる。だけどメリットも確かに存在していて、それこそ昨日あった人たちと出会えたことはメリットのひとつだ。昨日だけじゃなく、文字を通じて何人かの人たちにお会いできたことは僕にとってとても喜ばしいことだった。僕は生涯出会った人たちのことを忘れないだろう。

それに自分の書いたものが評価されるのは気持ちがいいものだ。内に内にへと向かっていた僕の世界が認められた。僕は間違っていなかった。僕の中に世界はあって、僕の中にしか世界は在り得ないんだ。と錯覚してしまうほどに気持ちがいい。

それらがデメリットを打ち消し、僕が文字を書く理由になっている。訳ではないけれど、充分に機動力にはなっているとは思う。自分の為に何かを書いて、それが人にも影響を与えられるということはとてつもなく気持ちがいいことだ。

僕の中に世界はある。一冊の本の中に世界が存在するように、僕の中にも世界がある。決して空っぽなんかじゃない。どんどん消えていってしまう僕自身を、消えてしまわないようにと書いた文章から、僕の中にまた新しい世界が生まれるのだ。

と、

そんなことを東京のネットカフェで考えている。
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